こどもの協働から、かかわるすべての協働へ
2月4日(月)に奈義小学校、翌5日(火)は奈義中学校で、演劇的手法によるコミュニケーション教育の授業が行われました。今年度3回目で、1年間のまとめとして、平田オリザさんが講師としていらっしゃいました。
2月4日(月)は、本来ならば奈義小学校の4年生と6年生とに授業予定だったのですが、インフルエンザの猛威に襲われ、小4生は当日に学級閉鎖。午前に行った6年生も、授業をしているうちに数名早退していくという、たいへんな状況の中で行われました。
小6生のプログラムは「転校生がやってきた」、中1生のプログラムは「奈義町を伝える対話劇を創ろう」という、台本を作り、劇を発表する、というものです。平田オリザさんの劇作家としての本領が垣間見えるプログラムです。
小6生での目標は、仲間と一緒に表現することの喜びを実感させたり、作る過程において、感性をすり合わせたりする合意形成の難しさを理解させる、というもの。
朝の教室で友だち同士会話している中に、朝の会のスタートに合わせて、担任の先生が転校生を連れて来て、先生が転校生を簡単に紹介し、転校生が挨拶をし、先生はそれから忘れ物を職員室へ取りに行き、教室からいなくなってしまう間に、子ども達が会話をする、といったシーンを劇として創って発表します。
中1生の目標は、本格的な劇を創ることを通して「誰に伝えたいのか」「そのためにはどんな工夫が必要か」を意識させる。創作の過程では、自己主張及び協働の活動を計画的見通しを持って行わせる、というもの。
数名の中学生が登校中、奈義町に観光に来たけれども場所がよくわからない外国人から道を尋ねられます。なんとかコミュニケーションをとろうとするものの、学校に遅刻はできないし、丁寧に応えてあげたいとも思うし。そこに近所の人が通りかかり…といったシーンを劇として創って発表します。
事前に用意された台本の雛型を、各グループで話し合って、工夫を重ねて変更しながら練習して発表へ。1回目の発表ののち、平田さんからフィードバックを受けます。それを踏まえて、さらに工夫を重ねてもう一度劇を創ります。
中1生に対しては、場面を区切って、何を伝えたいのか、誰に伝えたいのか、そのためにどうするのが良いのか、といったことを各個人で考え記録させ、それから話し合いからあらためて創作へと向かわせます。
劇やドラマ、映画でのシーンが、このように考えられていたのかということを、おそらく初めて認識したのではないでしょうか。その場面やセリフにどういう目的があるのか、そしてそれをどうやって見せることで、伝えることができるのかを考えることで、まるで頭が沸騰するよう感覚を味わいながら、さらに次々とレベルを上げて要求をしてくる平田さんの指示にあおられながら、子どもたちは、懸命に作業へ没頭していきます。
2回目の発表は、1回目を踏まえてそれぞれグレードアップしています。これは平田さんからのフィードバックを受けたり、1回目の他のグループの発表を見たりして、これをもっと良くしていくといい、とか、こうするのは良くないから他の表現方法にしてみよう、と考えて話し合い、練習できたからでしょう。
講師のフィードバックを受けることで、自分たちの行動をみずから肯定できることによって自信や確信を持ち、より良く発展、工夫させていこうとする面があります。もう一方で、他グループの発表のうまくいかなかった面を見ることによって、少なくとも同じことにならないようにと、工夫をする面があります。
良い点について発展、工夫させようとするのは、「正解」モデルがある、ということにもつながり、思考や表現しやすいところもありますが、良くない面を見て工夫するというのは、「正解」がわからないものを探していこうとすることにもつながります。このように他者の失敗を見て、考え行動するということも、とても大切なエッセンスのひとつでした。
また、今回は台本を作るところへ時間を費やしましたが、担任や担当の先生方から、「子ども達にしっかりと考える力がついてきているというのが、傍から見るとよくわかります」との感想がありました。学校の先生方の日常的な教育活動によって、しっかりと力が培われている、ということが、このような学校外からの講師による非日常的な教育活動によって、先生方にとって認識を確認できたり深めたりできる機会になるというのは、学校を「内」と「外」に分けるのではなく、「内」と「外」との役割分担による協働となっていると感じられました。
「地域に開かれた学校」から「地域とともにある学校」へと、ひとつの端緒となっている「授業」にもなりつつある印象を強く持ちました。
(黒瀬)