老いと演劇のワークショップ~鳥取大学視察~
こんにちは。ナギカラの草加です。
12月1日、鳥取大学の先生、院生と学部生の皆さんが奈義町に視察に来てくださり、
劇団「老いと演劇」OiBokkeShi主宰であり、ナギカラメンバーでもある菅原さんが実施している「老いと演劇のワークショップ」に参加してくださいました。
今回はその時の模様を紹介します。
講師紹介:菅原直樹
1983年栃木県生まれ。奈義町アート・デザイン・ディレクター。
「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。俳優。介護福祉士。
平田オリザが主宰する劇団「青年団」に俳優として所属。2010年より、特別養護老人ホームの介護職員として働く。
2012年、岡山へ移住。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。
はじめに
老いと演劇のワークショップとは
奈義町のアート・デザイン・ディレクターである菅原さんが講師となり、介護者と認知症の目線を疑似体験し、認知症の人との関わり方をじっくりと考える体験型講座です。
介護現場で実践されている演劇的手法「遊びリテーション」や、演技を通じた認知症の人とのコミュニケーションの本質についての講義、
認知症になった「わたし」が登場する介護現場の集団創作など、介護と演劇を通じてお互いがより良く生きる方法を考えるプログラムを用意しています。
ワークショップ当日、奈義の天気は快晴。
鳥取大のみなさんは視察2日目。前日は町役場の方々から奈義町で進んでいる取り組みを学ぶ座学がメインでした。
会場は文化センター301号室、本日は身体を使って「老い」と向き合うワークショップがメインです。
遊びリテーション
菅原さんのワークショップは、いつも身体を動かす「遊びリテーション」から始まります。
ひとりの将軍を決め、身体の部位に数字を割り当てて、将軍が言った数字(に該当する身体の部位)を指さしていく将軍ゲーム。
最初は簡単ですが、徐々にルールを加え、同時にふたつの数字や、別の人の身体を指さすなど、難易度が上昇。
最終的にはみなさん全身を使って混乱しながら笑っていました。
他にも、一脚の空きイスをつくり、全員がイスに座った状態で菅原さん演じるお年寄り役を空きイスに座らせないイス取りゲーム。
お年寄り役(=菅原さん)がゆっくりと歩きながら空いているイスに座ろうとするので、全メンバーで移動しながら空きイスに座り、必死に阻止します。
学生さんの必死さ、疾走感が伝わってきます。
みなさん慌ただしく動き、息を切らしている方も多くいらっしゃいました。
程よく?身体が温まったところで、老いと演劇ワークショップも本題に入っていきます。
「イエス、アンドゲーム」
認知症の方と、介護者の役を演じることで、それぞれの目線を体感するイエス、アンドゲーム。
まずふたり一組になり、認知症役と介護者役に分かれます。
介護者の要求に対し、認知症の方が的外れな要求を返し、それを介護者がまずは肯定(イエス)、そして認知症役の要求をより広げるような提案(アンド)をするというもの。
例えば、
介護者役「おじいさん、ごはんの時間ですよ」
認知症役「ハワイに行きたいな~」
介護者役「ハワイ、いいですね!(⇒イエス)じゃあ、ハワイに行ったら何をしましょうか?(⇒アンド)」
という具合に、認知症役がどんなに突拍子のない要求をしても、それにとことん乗っていくというものです。
イエス、アンドゲームの効果を実感するために、普段してしまいがちな「ノー、バットゲーム」も実例として実施してみます。
方法は先ほどの反対で、認知症役の要求に対して、それを否定し、本来のこちらの要求を押し通すというもの。
例えば、
介護者役「おじいさん、ごはんの時間ですよ」
認知症役「ハワイに行きたいな~」
介護者役「おじいさん、何言ってるんですか~。ハワイなんて行けませんよ。そんなことより、早くごはん食べましょう。」
これら2パターンを実施することで、双方の目線をより深く体験できます。
晩御飯を食べようという介護者に対して「船の錨(いかり)が欲しい」と言う認知症の方に、介護者が優しく乗ってあげている様子です。
学生のみなさんは肯定が上手で、これは難しいだろうという無茶ぶりにも見事に対応していました。
その後は、先ほどのイエス、アンドゲームの発展版として、「認知症のひとを囲んで」というゲームも実施しました。
グループの中にひとり認知症役の方を入れて、ひとつのお題について話し合っている途中に、漫画本の中にある突拍子も無いセリフを言ってもらいます。
その後は、先ほどのイエス、アンドゲームと同じように、肯定したり、否定したりして、それぞれの目線や気持ちを疑似体験するもの。
こちらのゲームも非常に盛り上がりました。
「もしも宝くじに当たったら・・・」というお題で話し合っています。
みなさん、乗ってあげるのがとても上手で、会場に笑いが絶えません。
ワークを終えて、最後に菅原さんの講義。
ここからは菅原さんの言葉を踏まえて、講義の内容を振り返ります。
ボケを正すのか、受け入れるのか
一連のワークで、参加者のみなさんにはボケ(ここでは認知症の中核症状と行動心理症状をいいます)に対する
対極的なアプローチを体験してもらいました。
それを踏まえて、「ボケを正すのか、受け入れるのか」ということについて、講義を聞きながら考えます。
認知症の症状は以下ふたつの症状に大きく分けられます。
・中核症状:記憶障害、見当識障害、判断力低下など
・行動心理症状(BPSD):徘徊、不眠、抑うつ、妄想、介護への抵抗、不潔行為など
ワークで体験したような突拍子も無い発言は、この中核症状の見当識障害によるもの。
いまがいつで、ここがどこで、何をしているのか、分からなくなってしまっている。
つまり同じ場所にいるはずなのに、心は違うところにいて、違う世界を見ているような状況です。
そして、一度発症してしまうと完治が難しいその中核症状に対して、なんらかの不適切な対応をしてしまうことで、行動心理症状にも影響してくる可能性があるそうです。
なぜなら、感情は、喜怒哀楽は当然残っているから。自分の感情をないがしろにされることで心にもストレスがかかり、認知症の悪化に拍車をかけます。
皮肉なことに、介護の現場は忙しく、介護者の気持ちを置き去りにして、どうしても要介護者とのコミュニケーション不全に陥ることがあるそうです。
そして、進歩主義によって支えられている私たちの世界は、「間違いを正し、成長する」という方向に偏ってしまうことが多い。
しかし、「老人ホームに一歩足を踏み入れると、私たちの世界で当たり前となっている進歩主義は妄想に過ぎないのかもしれない」と菅原さんは言います。
老人は、何が正しくて、何が間違っているのか、そんなことはとうの昔に教えてもらっている。
けれど、日々その判断ができない状況になっている人もいて、それが認知症であり、「老い」でもあると。
それは成長する、しないとは、また別の価値観で。
そんな人たちに私たちが私たちにとっての「正しい」という価値観を押し付け、間違いを「正す」ことを試みても、人は変わらないし伝わりません。
介護者、要介護者双方がつらく、しんどくなってしまう一方です。
「ボケを受け入れる」ことで、同じ世界を共有する。
見当識障害によって生じてしまう、お互いの世界のズレ。
それはボケを受け入れることで、解決するのではないか、というのが、菅原さんがご自身の経験から気づいたことです。
そして、その為に必要になるのが、演じること。
自分が役者になることによって、認知症の方々と同じ世界を見て、同じ世界で暮らす。
そうやって、同じ世界を共有できた時に、ふたりの間に信頼関係が生まれ、より良く介護し、介護される関係になれるのではないでしょうか。
これが、菅原さんが、「介護者は俳優になった方が良い」という所以です。
最後に
参加者のみなさんのまなざしは真剣そのもので、熱心にメモをとりながら、積極的に質問をしていました。
それぞれ目的があってこのワークショップに参加され、きっと得るものや考えることの多い時間になったのではないかと思います。
ワークショップを終えたみなさんの表情はとても生き生きとしていたように感じました。
私事になりますが、私の母方の祖母は、今は亡くなりましたが、怪我で入院後しばらくして認知症を発症しました。
介護施設に祖母を訪れた時、私の顔はおろか、娘である私の母のことも分からなくなっていて、それに笑顔で接する母の姿を見てとても辛かったことを覚えています。
その時私は、祖母との思い出や、やり場の無い悲しさでいっぱいになり、なかなか笑顔で接することができませんでした。
大切な人が、もしくは自分が認知症になる、そんな日がいつかやってくるかもしれない。人が老いる限り、避けては通れないことだと思います。
その時に、自分はどうするか。
老いと演劇のワークショップは、とても勉強になり、また考えさせられた良いきっかけでした。
最後になりましたが、ご参加くださった鳥取大学の先生、院生と学部生の皆さん、有難うございました。
また、ナギカラでも「老いと演劇」のワークショップや講演のご依頼を承っておりますので、ご興味をお持ちの方は是非またの機会に参加してみてください。